牡蠣には種類があり、日本で食べられている牡蠣には夏が旬の岩牡蠣と、冬が旬の真牡蠣とがあります。
季節は真逆になりますが、牡蠣を俳句の世界で見てみると、いつの季語になるのでしょうか?
今回は少し風流に、牡蠣と季語についてご紹介します。
牡蠣の季語は「三冬」

牡蠣は寒い冬に温かい土手鍋にして食べる、そんなイメージをお持ちの方も多いでしょう。
そのイメージ通り、俳句の世界で牡蠣は冬の季語です。
詳しくは「三冬(さんとう)」の季語で、三冬とは「初冬」「仲冬」「晩冬」の3つを表します。
俳句では春夏秋冬の一つずつをさらに3つに区分して季節の移り変わりを詠みますが、牡蠣は冬すべてにまたがる季語、つまり冬全部を通して詠んで良い題材です。
具体的には陰暦の10月から12月、現在で言えば11月から1月の3ヶ月にあたり、これはまさに真牡蠣の旬と重なると言えるでしょう。
昔の人も寒い冬がやってくると、牡蠣がおいしい季節になったとワクワクしたのかと思いきや、実際には味わいよりも収穫作業の大変さを詠んだ句が少なくありません。
松尾芭蕉も牡蠣を詠んだ

過去の偉大な俳人たちも、牡蠣を題材に俳句を詠んでいます。
いくつか紹介しましょう。
- 蠣よりは海苔をば老の売りもせで 松尾芭蕉
- 牡蠣を剥く火に鴨川の嵐かな 高浜虚子
- 朝比奈も手負うや牡蠣の門破 尾崎紅葉
最初の句は、あの有名な松尾芭蕉の句です。
ただし、この句は牡蠣のおいしさを詠んだものではなく、牡蠣を売る人の大変さを詠んだものになっています。
「年老いたら、重たい牡蠣より軽い海苔を売れば良いものを」といった意味です。
殻付きの牡蠣を入れた桶を天秤棒にぶら下げ、売り歩く商売はご年配の方には大変でしょう。
この句は、年老いてもなお大変な仕事を続ける芭蕉自身の姿に重ねた句だと言われています。
次の高浜虚子の句も尾崎紅葉の句も、その時期にはよく目にしたであろう、牡蠣の固い殻を一心に剥く打ち子の方々の情景を詠んだ句です。
現在も牡蠣の殻剥きは大変手間のかかる作業で、殻をしっかり閉じている牡蠣に牡蠣ナイフを差し込んで剥く作業は、ベテランでなければなかなかうまくいきません。
牡蠣殻をこじ開ける作業は、道具のない昔はもっと大変だったでしょう。
江戸時代の牡蠣
江戸時代には庶民の詠んだ牡蠣の俳句がたくさんあるのですが、当時は東京湾のそこかしこで牡蠣が穫れたと言われています。
もともと牡蠣は日本中の海岸の岩礁にいましたが、縄文時代の貝塚からも貝殻が多数出土したことから常食されていたとされ、元禄時代の食物事典「本朝食鑑」にも牡蠣のことが書かれています。
養殖が盛んになったのは昭和に入ってからで、水揚げした大量の牡蠣の殻を剥く専門の打ち子さんが登場したのもこの頃でした。
とても身近な食材で、季節には七輪で焼いて、つついて食べる上等なおかずとして喜ばれたそうです。
そのため、庶民の俳句としてもさまざまなものが詠まれ、現在のように多くの人に愛される食材となっていったのでしょう。
まとめ
現代でも多くの俳人が牡蠣を季語に俳句を詠んでいます。
ただ、牡蠣ではなく「岩牡蠣」とすることで、三冬ではなく夏の季語として用いるケースも多くなっています。
本来の歳時記を見ると季節がずれるのですが、季語と季節がずれたり、新しい言葉が季語として認識されたりするのが歳時記のおもしろいところだと言えるでしょう。
たとえば、「スイカ」は夏に欠かせませんが、歳時記では秋の季語にされていますし、七夕も秋の季語にされています。
現代人と大きく感覚がずれてしまうのは、かつての日本の暦と現代の暦とがまるまる1ヶ月ずれているからです。
また、俳句の場合、そもそも季語は「誰も決めていない」とも言えますし、「すべての人が決めている」とも言えます。
歳時記はいわゆる「季語カタログ」であり、事典とは存在が異なります。
もし、誰もが一年中牡蠣を食べるようになれば、いつか牡蠣は冬の季語から飛び出すかもしれません。
以上、牡蠣の季語についてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。